NHK大河ドラマ「真田丸」の真田幸村役に堺雅人
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最終更新日:2014/09/14
大河ドラマ
ちょっと気は早いかもしれませんが、再来年のNHK大河ドラマの話題を一つ。
再来年は「真田丸」です。脚本は三谷幸喜さんです。
幕末物と戦国時代物はやはり人気があるせいか、よく大河ドラマの題材にされますよね。
今回の主人公は真田幸村(信繁)です。
真田丸といえば、大阪冬の陣で大阪城は淀川や大和川などに守られた堅城であったが、南側だけは平坦な大地に空堀のみ
というゆいいつのの欠点でした。しかし、そこにあえて
出城を築きそこを真田幸村が指揮することで徳川軍を蹴散々に散らしたという有名な場所です。
しかし、徳川と豊臣の講和が成立し真田丸は打ち壊され、大阪城の堀も埋められてしまいました。
その後の大阪夏の陣で豊臣家は滅亡となってしまい徳川の天下が始まりました。
参考 ウィキ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%B9%81
堺雅人さんといえば半沢直樹で有名ですね。
決め台詞の「倍返しだ!」が一世を風靡しました。
そんな堺さんがどんな幸村を演ずるのかが楽しみですね。三谷幸喜さんの脚本も楽しみです。
さて、そんな大河ドラマの内容も気になりますが、みなさんは何故真田幸村が(信繁)
になっているんだろうと思ったことはありませんか?
真田幸村は俗称であり本名ではないんですね。
ですが!!!
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真田信之(幸村のおにいさん)が信濃松代藩の初代藩主なのですが、その松代藩ですら後世で
幸村という名前で信繁のことを記しています。
ん?
実際の名前でないものをなんで使うの??
となってしまいますよね。真田信繁が幸村とよばれるようになったのは諸説あるようです。
真田昌幸(幸村のおとうさん)が死んだ後に一字をもらって幸村と名乗った。
という説もありますが資料にそういったことが出てこないので推測の域をでていません。
私自身が好きな説は
真田信之が家康に敵対した弟の信繁(幸村)を弔うために、架空の人物
「幸村」をつくって江戸幕府の監視の目をかいくぐろうとしたというものです。
敵対したら所領没収、お家おとりつぶしの時代ですからそういったことを考えて
一計を案じたという説が好きです。実際はわかりません。
真田幸村は大阪の冬の陣、夏の陣で活躍したことから
庶民にも大人気になりました。
徳川もあえて真田幸村が人気になるのをとめなかったようです。上でも書きましたがお兄さんの真田信之は
徳川家康に仕えていました。その忠臣ぶりはすごかったそうです。
そして、家康もそのことをたいそう喜んでいたようです。しかも真田信之の奥さんは
徳川四天王のひとり本田忠勝の娘です。そういったコネを使いながら忠臣でありながら
父親、弟の助命を嘆願するなど親孝行であり忠臣であることを貫きながらも藩が取り潰されることも
ありませんでした。兄弟ともに才覚を持っていたようですね。
しかも、90歳以上まで生きたと言う長寿の人でもあります。江戸時代主君に対する「忠」、と「孝」が
尊ばれる中、武士の理想として、また戦国時代を知る数少ない大名として一目置かれていたようです。
作品のなかでこの兄がどのように描かれるのか楽しみですね。
お兄さんもそうですが、真田幸村自身も、さまざまな伝説が残る人でもあります。
島津家をたよって豊臣秀頼とともに大阪を脱出した、幸村と秀頼の子孫が生きていたなどと言うものまであります。
この大河ドラマの「真田丸」はいったいどのような真田幸村が描かれているのでしょうか?
楽しみです。
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